アルコール依存症と飲酒運転と飲酒事故。

*1米国で有名な禁酒法の興味深い点は、
「飲酒犯罪で罰せられる恐怖よりも、酒を飲みたいと思う快感が勝ること」
だと思います。


異次元のツボ!さんの親しい人が飲酒事故で亡くなられたそうです。
そのことを9/29の文章の中で綴られていますが、

オレは飲んでも運転くらい出来る。他の事故ったヤツとは違う。
こんな思考回路なんだと思う。
〜中略〜なぜ、自分は事故を起こさないと思い込めるのだろうか。
と、書かれています。


被害者側の人間ですら、飲酒した本人による自制を求めています。
(現行のシステムでは確かにそうするしかないのですが)
法律で罰するにしても、
飲酒自体の制限では無く、飲酒事故に対する罰則強化で
同じく自制を飲む側に求める範囲でしょう。


アルコールの本当の問題点は、
赤城高原ホスピタル(アルコール依存症専門病院)さん 否認の病気:アルコール依存症より。

酒の魔力にとりつかれた状態は、現在は正式には「アルコール依存症」という。
一般人にはその心理やメカニズムが理解困難なため、
多くの人が、これを「不道徳」や「本人の意志の問題」とみなしている
〜中略〜
この病気は、社会的にも否認されている。
大部分の患者は、実は、私たちの身近にいる、一見正常な家族、同僚、友人たち、近所の人々など、善良な市民である。 
の点にあるのではないでしょうか。


酒を飲んでも大丈夫・運転できると思うのでは無く、
酒を飲むから大丈夫・運転できると思うようになるのでしょう。

参考:過去の日記より酒によりキチガイになる例
飲酒を社会が認める限り、自制の範囲だけでは決して片付かない問題です。
アルコール依存症によるただちに酒を飲みたい感情はモラルでは抑えられないと思うのです。


一般的に受け入れられる意見では無いことを重々承知ですが、
飲酒することを社会が認めるかぎり、

飲酒で人が死んでいくことは、社会的に必要悪ではないのか?
飲酒で人が死んでいくことは、仕方が無いことではないのか?
飲酒で人が死んでいくことは、全ての人の責任ではないのか?
リスクベネフィット論的に語るなら、
社会的には飲酒の欠点(リスク)より、飲酒の利点(ベネフィット)の方が勝るということです。
合法的な嗜癖問題には全て同様のことが言えると思います。酒・タバコ・賭博etcetc。


ただ、よほど強い権力(イスラム教が唯一成功した例なのかな?)でもない限り、
どこまでいっても酒を飲む快感が勝ると思います。
けれども、このような視点から取り上げた話が見あたらなかったのでなんとなく書き殴ってみました。
社会での酒の扱われ方の確認。どこまで無理が通るかな。

余談

id:makaronisanたまごまごさんのハテナがおとなり日記にでてたので、
一般的な意見としてトラックバックしてみる。
でも、やはり一般的な意見と自分の見解との差異を感じてしまう。
普通の人や普通の家庭がアルコールで壊れた様を当人から見聞きしているせいだろうか。
アルコールのデメリット部分の評価が自分の中で高いことは確かです。
それとも、アルコール依存症によるただちに酒を飲みたい感情
飲酒者当人のモラルで抑えられる・抑えざるえないと判断するのが一般的なのか?


料理を作る立場からしてみれば、
酒なんて無くてもどうとでもなるから、別に無くてもいいのです。
無ければ無いなりにどうにかするのが世の常です。


ちなみに酒に対しては、あれば良いけど無くてもいい派です。
永遠のノンポリシー。ことなかれ主義。

*1:禁酒法は法律を施行する以前の問題点も大きいですけど。