教師は生徒のいじめを把握できない。しつけもできるわけがない。

生徒だった自分の立場から教師を思い出す。
同級生の名前は半数以上思い出せる。でも、教師の名前は半分も浮かんでこない。
それもそうだ。一緒に同じ体験をする時間が無いからだ。
休み時間は休み時間。授業は授業。給食は給食。生徒と教師はバラバラに行動する。
相談してこない限り、いじめなんて把握できるわけが無い。


しつけなんてできるわけがない。
親は1人で見る子供数は最近では多くても2.3人。教師は1人で30人。それも他人の子供。
子育てをしている人なら30人の子供をしつけられるかわかるはずだ。
児童擁護施設の職員さんが言っていた。10人の子供を育てるのに、「皆、血反吐を吐いている」と。
職員の1/3は胃潰瘍、1/3は*1宗教だそうです。その職員さんは女性で体脂肪率9%でした。どこのマラソンランナーだ。
30人分のしつけなんてできっこない。どうしたって無理に決まってる。


でも、みんな教師に期待する。それは教師だからか?
最近、医者の辛さは伝わってくる。教師の辛さが直に伝わってくる場合があるのだろうか?
それとも、少し前・そして今の医者と同じで「それが仕事だ」と泣き言扱いで終わってしまうのか。


お酒で荒れる職業「警察・医者・教師」というお話がありました。
やっぱり、教師もそこらの人間と同じ人間だと思います。いじめられっこもいじめっこもです。


だから、自分が気がつかないうちに、誰かをいじめているかもしれない。
だから、自分が気がつかないうちに、誰かを傷つけているかもしれない。
みんな同じだからこそ、そんな感情を常に感じています。

*1:別に宗教に否定的ではありません。確固たる心の拠所として宗教は優秀だと思います