オウム真理教の思い出を語ってみます。

課題:実際に体験した憎しみと、実際に体験していない憎しみはどちらが上か。
疑問:→オウム真理教の思い出でも語ろうかを読んで:おきらくごくらく! 〜新事記〜 さんより
結論:自分は実際体験していない多くの人の死や悲しみよりも、個人的な牡蠣の恨みの方が強いようです。
疑問:他の人はどうなのでしょうか?


感想:
「自分は自分自身に危害がなければ、他人のことなんて思いやれない」
と、いう話です。そんな自分がちょっと嫌です。
過程↓
オウム真理教の思い出でも語ってみます。

あれは、まだ18.9の小僧の時の話。
近所にオウム真理教の道場があるお店で働いていました。
そしてお店に食べにくるオウムの偉い人達。そして、注文されるのが、


大量の生牡蠣の山


一人最低10個は食べられる素敵な食べっぷり。
6人で来られると一つのグループのお客様だけで60個。
その頃、牡蠣の殻を剥き、飾り付けを作り、ソースを作り、綺麗に盛りつけ、
サービスの方にお渡しするのは全部自分の役目。(前菜係)


とにかく、牡蠣を、
剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き


他の作業(他の人の手伝いや他のお客様の料理作り)をしなければなりませんが
剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き


さらにお代わりをする度に、
剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き剥き


そんなわけで、他のお客様の前菜を仕上げる暇が無くなり、
先輩の手を借りなければ、自分担当の前菜をこなすことができなくなるのが非常に嫌でした。


そんなわけで、
自分にはオウム真理教=牡蠣大食いのお客様。
自分の苦手だったお客様としての認識がいまでも強いです。


実際、牡蠣でお腹が一杯にされると、
後半の料理がお腹に入りにくくなるので、他のシェフ達からの評判も悪かったです。
牡蠣の方が美味しかったといわれればそれまでなんですけど、やはりちょっと寂しいです。
でも、そのお店の生牡蠣は美味しかったです。やはり、負けていたんですねorz