手段のために手段を考える人は想像以上に多くないですか?


さて、そこで食べ物の好き嫌いです。
先日、人参が嫌いな人から、人参の好き嫌いについて問われました。
私の答えは、「調理法によって好きになるものもあるし、嫌いになるものもある」です。


目的が食べ物に対する美味しさや不味さとするのなら、
素材段階の評価で見るよりも、料理として食べる段階の評価で判断するのは当然です。
手段である人参自体よりも、目的の人参料理の味で考えた方が良いと思うのです。


例えば、西洋風出汁(フォンやコンソメ)には人参が必ずといって良いほど入ります。
ラーメンの出汁にいれる店もあります。中華や和食の出汁にも人気の食材です。
人参が嫌いな人でも、実は食べているんです。考えてみれば、当然の話です。
でも、素材や調味料だけで味を語る人が多いのは不思議なことです。


何かに対して、どれかひとつの事象で物事の全てのように語るのは不毛です。
何かに対して、何かを批判する為にわざわざ欠点を探すようなことになってる人は、

に、自分達では気がつかなくても、他人から見ているとなっている場合が多いです。
実際、料理以外にこのように思うことが多いのですが、炎上ネタなので以下割愛。


一時代を築いたSEGA信者は、「今ごろどこで何をしているのかな」と思いつつ書いたお話です。




ハード戦争の歓喜を無限に味わうために
次のハード戦争のために
次の次のハード戦争のために


→:参考日本におけるゲーム機戦争 - Wikipedia情報元:ゴルゴ31さんより