自分の理屈と大勢の理屈が噛み合わない時はどちらが間違っているんだろう?


前回の白菜の話です。
やまけんの出張食い倒れ日記さんより・白菜や大根、産地廃棄を「よくない! なんとかしたい!」と思うなら、、、一つだけ方法がある


・白菜を倍食べれば、農家は倍作るようになる。
当然です。
民主主義ですから売れる物は作る。
ナタデココブームがそうでしたが、ああいう状況になるのは目に見えてます。

ナタデココブーム

 1992年から1993年頃、日本で一大ナタデココブームが起きる。

当時フィリピンでは、ナタデココ長者が登場、便乗し栽培プランテーションが激増したが、一過性のブームが去った後に多くの農民の困窮と熱帯林の破壊が残され問題になった。

・白菜を倍食べれば、他の野菜の需要が減る。
当然です。
人間の胃袋の大きさは全体で見ればそんな簡単には変わらないので、
1シーズンだけで見ると他の野菜の需要が減ります。


・産地廃棄で無く家庭廃棄の場合、環境への負荷が大きい。
当然です。
輸送・冷蔵の過程でどれだけ環境へ負担をかけるのだろうか。


自分にとっては解決法になっていない=自分の理屈に合わないと思うのですが、多くの人は白菜を倍食べようという意見を支持する。
自分の理屈のどこが間違っている点が分からないのは非常に辛いわけです。


まあ、自分が絶対的少数では無いし反対意見もそこそこでてるからちょっとは安心。
そういう点では殺伐もいいかなと思うわけです。でも、殺伐ばかりでもつかれます。間ぐらいがいいです。
現在、年末で自分の頭のお花畑が花粉症を起こしています。くしゃみで大暴れ中です。


うーん、心意気の問題なのかな?善意の転載とかと同じ?