自分が加害者側に立った場合、本当にいじめを追求できるのか?

課題:自分が加害者側に立った場合、本当にいじめを追求できるのか?
着眼:保坂展人さんの「学校と教育委員会がどのように「いじめと自殺」をもみ消したかだ」から。
結論:なんどもいいますが、今の制度では絶対に私はできません。いじめとは誰もが加害者になりうるし、揉み消されるものです。
疑問:偉い人は綺麗ごとを言わなければいけないのか?あんまり汚いこと・醜いことを人前でいう偉い人はいない。


感想:
まず、いじめを偉い人(制度を変えられる立場にある人)が話すなら、

「学校と教育委員会がどのように「いじめと自殺」をもみ消したか」のような事より、
「自分が加害者側に立った場合、本当にいじめ問題を話せるのか?どうしたら、加害者側が話してくれる環境ができるのか」

そこから話を初めて欲しい。
加害者を責めるよりも、加害者側の人間を理解する努力を欲します。(加害者の背負う罪とは別のことですよ)
それはマイナー政党(失礼)の人間にしかできない事だと思います。

過程↓
いじめを認めない沈黙のスクラムとは
いじめを報告しない学校を誰が支えているのか
を読んでの感想。保坂展人のどこどこ日記さんより


まず、自分に問う:自分の子供が虐め自殺加害者だった場合、自分の子供を責められるか?


自分には今の立場ですら絶対にできない。
いじめ加害者と自分は同じであることの証明


保坂展人さんは本当に言えるのだろうか?
自分がいじめ加害者の親、いじめが発生した地域の親になった場合、地域や自分を責める事ができるのでしょうか?
学校にいじめを無くそうと声たかだかに言えるのでしょうか?
加害者の親なら衆議院議員は間違い無く免職。地域なら100%選挙に関わってくる。
自分の地域のいじめを糾弾したら、地域の票を得られなくなる。(逆に利用できるかもしれないけど、デメリットも大きい)


私が保坂展人さんの立場なら無理だ。こんな綺麗ごとは容易く言えない自信がある。
ほとんどは例外なく、誰だって揉み消そうとする。それは揉み消しさえすればすむ問題だからです。
それは今までのいじめ自殺の事例が証明してくれている。


いじめは誰でも加害者と被害者になりえる。
自分や自分の子供だってそうです。
それは過去のいじめ自殺によって亡くなられた方々が証明してくれている。
茨城県水戸市の笠原中学校の村口江梨子さん(中2・13)の例
世界子ども通信「プラッサ」>日本の子どもたち>子どもに関する事件・事故 1より

「仲良し7人組」の一人は「わたしたちは“過去ある人”の集まりなの」と説明。
「いじめられ、すぐに落ち込みやすいタイプの子ばかり。でも、このグループにいると、すごく落ち着くの」と話した。
グルーブ外の女子生徒は「あるグループは“低い人たち”が寄り集まった」という。(「教育を追う 日本の教育風土」/毎日新聞編)


虐められて精神障害者になった人達を見てきても、自分も虐められてきても、
それでも、私はいじめ加害者の子供を庇う親や地域を、
一方的に責める気にはなれないのはそんな事からです。